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3月9日(日) キャラヴァン/CARAVAN - ロンドン/レインボウ・シアター 

デイヴ・シンクレア/Dave Sinclair     (kybds.
ジェフリィ・リチャードスン/Geoff Richardson(vla., fl., gtr.
パイ・ヘイスティングス/Pye Hastings     (vo., gtr.
リチャード・コーフラン/Richard Coughlan (drms.,percussion
マイク・ウエッジウッド/Mike Wedgwood  (bs., vo., conga

_9 3 caravan1のコピー

9mar caravan programmeのコピー
会場で売られていたプログラム

 前座のルネサンスが終わってメインのキャラヴァンが始まるまでの間にレインボウ・シアターの舞台中央スクリーンに BTMマネージメントの宣伝スチールが映写されていた。カーヴド・エア~ルネサンス~キャラヴァン~クライマックス・ブルース・バンド~アル・ステュワート~ウィシュボン・アッシュetc.etc. ルネサンスとキャラヴァンが映ると会場からは拍手が起こっていた。ま、当然だろう。 この夜のギグは10時から11時20分頃まで、この年の夏にリリースされた「カニング・スタンツ」から2曲、一つ前の「夜ごと太る女のために」から2曲、「ウォータールー・リリー」から1曲、そして外せない名曲「リチャードのために」と、今となってはキャラヴァンを代表する曲ばかりでセットされていたので悪かろうはずが無い。

 キャラヴァンは見目の良いスター・ミュージシャン
が居るわけでもないし、衣装で見せるバンドでもないが、強いて云えばヴァィオラのジェフリィ・リチャードスンが紺地にキンキララメ入りのベストに黄色のパンタロン・スーツでちょっと目立っていたかな…?彼は子供の頃少しヴァイオリンを習った程度で、ヴァィオラやその他の楽器は独学で勉強したそうだ。曲やメムバー紹介は全部彼が話し、他のメムバーは黙々とプレイしていた。ベイスのウェッジウッドは「カーヴド・エア」からキャラヴァンに入った人で、ベイスのみならずコンガやヴォーカル、作曲までしているのでキャラヴァンに於ける貢献度は高い。デイヴ・シンクレアはやはり人気が有り、「彼が作曲した~」というだけで会場からは拍手が聞こえた。「カニング・スタンツ」から20分程の大作「ザ・ダブ・ソング・コンチェルト」が演奏されたのだが、アルバムと同じ様にテープを多用しつつライヴでもよどみなくプレイ出来るのがこのバンドの強みだ。レコードではセッション・プレイヤーとかオーケストラを使ってストリングスのパートを録音しているが、ライブではテープとリチャードスンのヴァィオラが全面的にフィーチャーされてそれぞれの曲を盛り上げていた。実際キャラヴァンは39人のオーケストラを従えて演奏した「キャラヴァン&ニュー・シンフォニア」というライブ・アルバムが有り、バンドとオーケストラが一体となった演奏をライヴでも問題なくやってのけられる実力をまざまざと見せつけてそのサウンドを十二分に堪能させてくれたものだ。この日も「リチャードのために」そして「瞳の中の愛」と20分程のドラマティックな大作が次々と演奏されオーディエンスを感動させていた。「リチャードのために」のイントロが始まった途端、会場から拍手が起こり、大部分のオーディエンスがこの曲を目当てに聴きに来ていたのがよく分かった。という私もその一人でした。アンコールは「夜ごと太る女のために」から「ホーダウン」がプレイされたのだが、この曲の途中にリチャードスンがオーディエンスに手拍子講習会を始めた。「さあ皆さん、7/8拍子ですよ。ワン、トゥー、ワン、トゥー、ワントゥスリィ、ワン、トゥー、ワン、トゥー、ワントゥスリィ。」シンクレアもキーボード群から出てきて他のメムバー等と一緒にパーカッションでリズムを叩き出し、オーディエンスが手拍子に慣れてくると、、それに乗せてメムバー紹介が始まり喝さいの中コンサートは終わった。この夜も終電は出てしまった後だった…
 この後バンドは、4月~5月にかけてヨーロッパ・コンサートに出掛けていた。これとは別に、5月の最終土曜日にハイド・パークでフリーコンサートが行われたのだが、発表されていたメイン・アクトはドン・マクリーン他フォーク系のバンドばかりで、私はその夜、リック・ウェイクマンのコンサートでウエムブリィまで出掛けなければならなかったし、ハイド・パークには行かなかった。ところが、友達によると、夕方4時頃公園を通りかかったら「キャラヴァン!」というアナウンスが聞こえたので行ってみると、本当にキャラヴァンが出てきて1時間弱演奏したそうだ。しかしオーディエンスはやはりフォーク・ファンが多かった様でそれ程ウケてはいなかったらしい。出演バンド・リストにキャラヴァンの名前は入って無かったのに急遽決まったのだろうか…それにしてもフリーでキャラヴァンが見られたのか…くやしい!
 この年の夏には、ロンドン郊外で毎年行われるレディング・フェスティヴァルに出演。しかしこの時には既にデイヴ・シンクレアは「ハットフィールド・アンド・ザ・ノース」を辞めたリチャード・シンクレアと共に、ニュー・バンド「シンクレア・アンド・ザ・サウス」結成の為キャラヴァンを脱けていて、彼の代わりに後に「キャメル」のキーボード・プレイヤーとなるヤン・シャルハースが参加していた。
 この後もキャラヴァンはメムバーチェンジを繰り返しながら活動していたのだが、83年には解散。しかし90年、TV出演をきっかけに再び演奏を始め、その間にも旧アルバムが次々と再発売され2002年1月にはヘイスティングス、デイヴ・シンクレア、クーフラン、リチャードスン他3人のメムバーでとうとう来日してしまった。

 今やカンタベリィ・ミュージック・シーンというジャンルが出来てしまい、その中心に位置するキャラヴァンだが、これからも益々ファンは増えそうだ。
 ベイシストのウェッジウッドはオランダ人女性と結婚し現在オランダに住んでいて、ソロ・アルバム製作とレコーディング・スタジオ建設で忙しい日々を送っているそうだ。

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